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京都を訪れたのは松本 潤さんです。
(松本)あっ いらっしゃいました。
(松本 本郷)ご無沙汰しております。本日も よろしくお願いします。
(本郷)どうぞ よろしくお願いいたします。一緒に旅をするのは…今日はね こちらに…特別なもの。はい。行ってみたいと思います。何だろう? 特別なもの。家康を知るための特別なものって 一体?さて 何でございましょうか。
(大[外04])こんにちは。どうぞ よろしくお願いいたします。浄土宗総本山 知恩院へようこそ いらっしゃいました。知恩院の大[外04]と申します。大[外04]さん よろしくお願いします。すごい立派なとこですね。はい。すごい。 葵紋が。
(大[外04])はい。大きな幕に描かれた葵の御紋。ここ知恩院は 徳川家ゆかりの寺なんです。
(大[外04])はい 中にお入りを頂いて。わあ~ すごい。
(大[外04])正面に お進み下さい。近くまで来て頂いて。こちらの このお厨子の中に…へえ~ 等身大。はい。この中に ふだんは公開されていない等身大の徳川家康像が収められているそうです。お願いいたします。一体 どんなお姿なんでしょう。…ということが伝わっております。へえ~。家康の死の直後まだ家康を知る人たちが生きている時代に作られたという この木像。まさに 家康の生き写しといわれています。この木像の…やっぱり戦国大名ですもんね。すごい この辺で見ると本当に…
(大[外04])本当そうですね。いや~ 40歳で あの威厳 出るかなあ。戦国の世を終わらせ江戸幕府を開いた徳川家康。その素顔に 松本 潤さんが体当たりで迫る旅の第2弾。この辺りに家康が座ってたらしいんですよ。来年の大河ドラマ「どうする家康」で徳川家康を演じる松本 潤さんが家康ゆかりの地を訪ねます。今回の旅のテーマは…そこには思いも寄らぬ秘密が隠されていました。あ~ 向こう向いた。家康が 人知れず 日々…実は それが…そんな家康の秘密を…これが運命の分かれ道ですよね。負けたら殺されちゃうから当然なんですけれども。徳川家に代々伝わる貴重なお宝を特別に披露してくれました。「どうする 松本 潤?徳川家康の大冒険」第2弾!はじまり はじまり。いや~ すごいね。 すごいよ。[外9390]~愛知県 三河国の弱小大名だった徳川家康。その人生は 本当にピンチの連続でした。周りは 強い大名ばかり。戦国乱世を生き抜くために戦 戦 また戦。しかし 家康が天下を取れた理由は戦に勝ったからだけではありません。実は 家康が日々の生活の中で熱心に取り組んでいたことそこに意外な天下取りの秘密があったのです。家康を天下人に押し上げたとも言える3つの秘密を松本さんと一緒に探っていきましょう。あいにくの雨ですね。本当ですね。まあ でも この雨にも負けずちょっと それを探りに行ってみましょう。家康の秘密を探るために最初にやって来たのはなぜか山梨県の山の中。こんな山の中ですからね。 何だ?あそこの看板に 「木曽馬牧場」いうことが書いてありますので。本当だ。あっ いますね お馬さん。はい あちらにお馬さんがいらっしゃいます。なるほど。雨の中ではございますが。こちらは 木曽馬など古くから日本にいる馬を育てている数少ない牧場です。本当にね 大きいですね。 こんにちは。こんにちは。あっ 馬もイケメンが好き。頑丈そう。馬の鼻が大好きなんですよ。超気持ちいいの。馬も何だか うれしそう。こんにちは。僕 それこそ 最近馬 練習させてもらってますけど…あっ 確かにね サラブレッドよりはね。そうですよね。少し 背丈が低い感じがします。ええ 違うんですよ。家康の時代の馬は 現在よく目にするサラブレッドよりも一回り小さい馬です。でも 足は太く 体もガッチリ!何だか 野性味あふれる感じ。家康は 乗馬の訓練に とにかく熱心で若い頃はもちろん 70歳を越えても…実は この乗馬こそが 家康の天下取りに殊の外重要な役割を果たしていたようなんです。ここで いよいよ松本さんに馬に乗って頂いてそのことをお考え頂こうとそういうことでございます。早速 乗ってみるんですね。こんにちは。
(菊地)こんにちは。よろしくお願いいたします。牧場主の菊地幸雄さんに馬の乗り方のコツを教えてもらいましょう。あ~ 来た。家康の天下取りの秘密分かるでしょうか?大きいね。 お名前は?黒曜といいます。黒曜。この子に今日は乗っけてもらうんですね。よっ。 はい。あ~ 様になってる。お~ すげえ。あっ 全然…。 何か すげえ…取れないでしょ?まずは姿勢から。足で しっかりと ふんばってその上に重心を乗せてバランスを取ります。
(菊地)手綱も ちょっと こう短めに持って…。そうそうそう そんな感じ。あっ 意外と速い。お~ すごい。意外と速い。うまい。松本さん いい感じです。
(菊地)右の方に回って頂いて。
(菊地)そんな感じ そんな感じ。なるほど。 手綱をぐいぐい引っ張らなくてもいいんですね。松本さん いかがですか?極端な話 ここ つかまないで多分 うまい人は 本当に ここだけで全部 指示出せちゃうっていうか。あ~ そっか。 だから あれですね武士は 弓とか馬上で…。そうそうそう。 だから…それは 一回 指示出しといて自分の この ケツの動くこれだけで前に進められるようになるから。本当だ。 動いてる 動いてる。何か 僕の個人的な感じかもしんないですけど割と 何か…だから 何かこう 自分で操って動いてもらってるけど…自動車や自転車のように 人間が完全にコントロールするのではなく…それが乗馬のコツ。実は ここに 家康天下取りの大事な秘密があったんです。どうも お疲れさまでした。ありがとうございました。例えば 松本家康が…ですよね。はい。あの時も…松本家康の…あ~ なるほど。三方ヶ原の戦いは 家康が31歳の時戦国最強といわれた武将 武田信玄と浜松城の近くで激突した戦いです。信玄の前に 徳川軍はなすすべもなく惨敗。多くの家臣が討ち取られ家康自身も討ち死に寸前になりました。そんな中 家康が なんとか一命を取り留めることができたのは馬のおかげでした。敗北で我を失った家康を乗せ追っ手を振り切っていちもくさんに浜松城へと連れ帰ってくれたのです。つまり 家康がいちいち指示を出さなくても馬が勝手に逃げてくれた… というわけ。いざという時……と 家康は肌身で感じたのです。家康は 毎日乗馬の訓練に励んでいたのでした。ここで…あっ 来ましたね。 今回も。ここで 家康の素顔を知るための「どうするポイント」。家康の人生における さまざまな選択肢を自分ならどうするか松本さんが考えてみます。さあ それで 今から3つ申し上げます。1番。 蚊に刺されないように蚊帳をつっていた。馬小屋に?そういうことです。馬を そこの中に…。蚊帳の中に入れていた。お酒を飲ませる? 聞いたことないですね。放牧的なこと?いえいえ。 その 何て言うかな。あんまり こう 蝶よ花よと大事にしてないっていうことです。自分の命を預ける大切な存在である馬。家康は ほかの武将とは ひと味違う独特な飼い方をしていました。それは 一体?蚊に刺されないよう…さあ この3つのうち 松本家康ならどれでございましょうか?1番。1番。 蚊帳?蚊帳。 いや 何か馬って その…それこそ 虫が飛んできた時に尻尾とかで 虫 嫌がってたりとかこう 飛んでんのを 「フッ!」つってよけたりするイメージがあるんですよ。そういうのが意外とストレスなんじゃないか。ファイナルアンサー?ファイナルアンサー!あれ? 何か 番組変わっちゃったな。実はですね残念ながら1番ではないんです。違うんだ。3番でした。ほったらかしにしてた?ほったらかしにしてた。あんまり…。手をかけない。手をかけない。 へえ~。正解は できるだけ「ほったらかしにしていた」でした。ある時 家臣が家康に…自分たちも そうするべきだと進言しました。すると家康は 必要ない……と 答えたといいます。結局 家康が考えるに…だから 下手に…結局 やっぱり その中で…そういうものを とっていくっていう形だったんでしょうね。まあ でも そっか。 そういう意味じゃ…日頃から 馬と気持ちを通じ合わせることができればいざという時に助けてくれるそう考えていたのかもしれません。ということで 松本さん逃げるときの乗り方のコツ教えてもらいます。それを下手な人が乗っかってどんどんどんって やっちゃうともう一気に こう 距離が縮まっちゃう。できるだけ馬を自由にさせて負担をかけない。それが 逃げる時の極意でした。そんなに走るんだ。 そうですか。松本家康 いつケガしても大丈夫ですね。戦場から離脱できますよ。家康は 後に こう語っています。とにかく…こうして家康は戦乱の世を生き抜いていきます。日々の乗馬の訓練は家康を天下人に押し上げた大きな秘密だったんですね。大きな要因になったんですね。それには…だから これから「大河ドラマ」始まるまで松本さん きっと 馬を随分と練習させられるんじゃないかと思いますけどね。そうですね。 まあ 本当に…
(一同)ありがとうございました。続いてやって来たのは愛知県にある名古屋城です。本当ですね。名古屋城は 天下人となった徳川家康が築いた城です。現在の天守は 戦後になって昔の姿そのままに復元されたもの。下の石垣と合わせると 56mで実に 18階建てのビルに相当するそうですよ。見て下さい 石垣の見事な反り。この美しい曲線は「扇の勾配」と呼ばれています。そして 名古屋城といえば何と言っても 金のシャチホコ。現在の貨幣価値に換算しておよそ10億円。豪華ですね。松本さん この… 建物が白いですよね。はい。で どっちかっていうと…黒くて 金の装飾を そこに施す。見た目は すごくかっこいいんですけど…へえ~。 そういう違いがあるんだ。でも こうやって見るとやっぱり天守閣すごいですね。すごいですね。立派だなあ。もう いくらかかったか分からないんじゃないかなあ。天守のそばに立つのは尾張徳川家の殿様の御殿。平成30年に復元され昔の豪華な姿がよみがえりました。虎が描かれた襖。殿様に会う客が通される…徳川の威厳を表す虎たちににらまれながら面会を待つのです。奥に進んでいくとひときわ豪華な部屋が…。欄間には 鶴の彫刻。ここは 将軍が訪れた時に宿泊する特別な部屋。VIPルームです。金色に輝く くぎ隠し。高い天井は 格式の高さを表し隅々まで絵が描かれています。まあ すごい。冬も葉を落とさない松は永遠の繁栄のシンボル。「松」だけにこの部屋でスペシャルな方が松本さんを待っていました。本日は お忙しい中ありがとうございます。よろしくお願いいたします。はい よろしくお願いいたします。徳川家康の直系の子孫。現在は 政治経済評論家や翻訳家として活躍されています。どことなく家康公と雰囲気が似ていますね。ええ 私も緊張しています。いえいえ…。何か そうですね あの…。きちんと ご挨拶させていただくのも今回 初めてなので。伝わってない?これぐらいです。今日は 松本さんのために特別なものを持ってきて下さいました。ともかく一番最初に 目の前にすばらしいものがあるんですけど。これは… ごめんなさい 何なんでしょう?それぞれの書いた和歌…短冊 色紙を どこかから切ってきて貼って 寄せたものですね。これ 本物ってことですか?
([外05]川)そうです。3人それぞれの自筆の和歌を一枚の軸にしたという「三公集成」。こちらが 織田信長の和歌。歌のお題は 「旅 白河関」。「都から はるばると旅をして福島県の白河関で今は仮寝している」。「仮寝」という表現からまだまだ先に進むぞという信長の気概が感じられます。…というふうに 私は思っております。そうですね。信長公って さすがに信長公だなあと…。ちょっと 何か その…そういうことなんだ。 すげえな。こちらは 豊臣秀吉が詠んだ歌。「夕暮れ時に 何となく誰かに話しかけられたと思ったら山から吹く風が窓を鳴らしていただけだった」。ちょっとした勘違いをユーモアたっぷりに詠んだところに秀吉の才能を感じます。う~ん。一番最後 「てん下」。家康は 自作の歌ではなく「百人一首」にも選ばれた平安時代の女流歌人の有名な歌を書いています。「あなたが来ないことを嘆きながらひとりで過ごす夜がどれほど長く感じられることかあなたは知らないでしょう」。家康は 愛する人に会えない切なさを詠んだ歌を選んで書き写しました。後の世に 3人それぞれの自筆の歌を選んで作られたという「三公集成」。家康だけが 自作の歌ではないところに家広さんは注目しています。そういったところも含めて秀吉公のみならずですね……いうことを感じてですね。家康公自作の歌も どっかにあるのかもしれないんですけれども結果として…違いは何かというと…それが よく表れているなと思って。なので非常に好きな品ではあります。ああ そうなんですか。[外05]川さんは やっぱり…それは 博愛主義とか そうではなくて…そういう利己的な部分も含めてですね…そこも含めてだったと思います。家康の天下取りの秘密を探る旅。続いてやって来たのは山梨県の のどかな野山。あっ。あ~ きれいだなあ。
(藤田)こんにちは。きれい。 真っ白。
(一同)よろしくお願いします。鷹ですか?そうですね。 シロオオタカっていう。きれいですね。はい。そんなに真っ白なのいるんだ。出迎えてくれたのは鷹匠の藤田征宏さんと藤田さんが育てたシロオオタカ。名前は特にないそうです。鷹狩りとは 鷹を使って キジや鶴うさぎなどの獲物をとる狩りのことです。参加するのは鷹を手に乗せた殿様 鷹主と勢子と呼ばれる家臣や農民たち。勢子は キジや鶴がいそうな野山の茂みに入って音を鳴らしながら獲物を威嚇します。驚いた獲物が飛び立ったところを見計らって殿様が手から鷹を放ち獲物を捕獲させるのです。でも ここで終わりではありません。殿様は 鷹が獲物を食べてしまう前に鷹のもとへ猛ダッシュ。獲物を確保するのです。へえ~。なんと 彼はですね…そんなに?へえ~。 年 重ねてからなんですね。ええ。 ある時は もう…そういうことをしていたそうです。お~ お~ お~。お~。盛り上がってるね。わあ きれいだ。ちょっと待って下さいね。そしたら 小指に これを挟んでもらって少し握ってもらう。重いですね。 1kg… 100ぐらいあります。へえ~。そしたら 肘を締めてもらって…肩に力入らないように。すっごい きれいな目してますね。
(藤田)こういうところの狩り場っていうのが分かってるんで…そうなんだ。 めっちゃ探してんだ 今。
(藤田)はい。松本家康も ついに鷹をですね手に入れられたんですが実際にやってみましょう。やってみる?
(藤田 本郷)はい。鷹狩りをする前に まずはトレーニング。鷹狩りをするにあたって…そのトレーニングを…はい。 もうちょっと内側に…。これで じゃあ ちょっとあちらの方まで歩いてみますか。落とさないように。歩くってなると こういうスピードですよ。これぐらい?そうですね。 足元悪い中を。Uターンして あっち行ってみますか?松本さん なかなかお上手。手が ちょっと落ちてきちゃってるんでもうちょっと…。 そうですね そうですね。
(藤田)鷹の足元ばかりじゃなく。むずっ。まあ こんな感じで。 まあ でもさすがです。 落としてないですからね。普通 やっぱり どうしても…ちょっと 一般人。 一般人。あっ ちょっといけるかな。あ~ ダメだ。 やっぱり松本さん 運動神経すばらしい。こういうこと?はい。いやいやいや… いやいやいや…。こんなもんすよ。こんぐらいは行けるけどこれ以上 無理だな。でも 10分練習してかなり上達しましたよ。
(藤田)そうです そうです。そのまま こういう感じですね。そのまま。これを このまま こう リリース。さあ 家康の鷹狩りの秘密に迫りましょう。今回は 勢子役として地元 都留文科大学の学生のみなさんに協力してもらいました。鷹を持つ松本さんと横一列になって竹の棒で やぶをたたき獲物を追い出す想定です。獲物は…これに ひもをつけて振り回し獲物が逃げて空に飛び立つ様子を再現します。すると 鷹が飛びかかる… はず。さあ やってみましょう!しっかり持って。いいですか? 外しますよ。よいしょ。 OK。ゆっくり こっち向いてもらって。こえ~。そしたら いいですか?勢子さん 行って下さい。獲物がいる場所に近づいていきます。いてっ。ものすごいアタックされたけど 今。あ~ 行っちゃった。 帰ってくる?帰ってきます。一体 何が起きたんでしょうか?鷹が獲物を見つけた瞬間を見計らって松本さんが鷹を放つはずが鷹が勝手に飛んでいってしまいました。ものすごいアタックされたけど 今。あ~ 行っちゃった。 帰ってくる?気を取り直して もう一度チャレンジです。
(聞き手)手に乗せた感じはどんな感じなんですか?
(聞き手)それを動かさないでってことですもんね。そうそうそう。 だからキープするっていうのが 割と こう…松本さん 今度はタイミングを合わせることができるでしょうか?
(藤田)いい感じで出しましたね。あら?もう一度 見てみましょう。松本さん ナイスリリース。しかし鷹が獲物の飛び出しに合わせられず獲物を捕まえることはできませんでした。なかなか難しい。
(藤田)今 あっちの木に止まりました。えっ そんなとこまで行ってるんだ もう。そういうことです そういうことです。私も一緒に走ります…。さあ 3回目。家康だって 最初は 簡単にはうまくいかなかったことでしょう。こういうように歩いていくとキジがバ~ンと飛び出したらそれに鷹が反応して飛んでいくっていうようなのが鷹狩りのだいご味ですね。いいっすよ。どうだ? あら? 行っちゃった?どういうこと?リリースは バッチリ!でも 鷹は獲物を通り越してしまいます。しかし 戻って獲物を捕まえてくれました。鷹が空気を読んでくれたのかしら?獲物を捕まえたら ダッシュ。急いで鷹のもとへ走ります。ゆっくり走ってもらって 前の方から。前の方から行きましょう。前の方から?前の方から。そ~っと そ~っと ゆっくり。で どうすればいい?あとは 鷹から獲物をもらい鷹を褒めてあげたら終了です。いや 結構 これ…。
(藤田)疲れますよね?大変です。だって 60代で はまったんですよね?
(藤田)はい。本当に 何か 健康っていうか…さあ 鷹狩りが なぜ家康の天下取りの秘密なのか 分かりましたか?それは 健康長寿です。鷹狩りを健康作りに役立てた家康は平均寿命が50歳ほどだった当時実に75歳まで長生きしたのです。これが ものを言ったのが豊臣秀吉の死後誰が次の天下人になるのかしれつな競争が始まった時…。ライバルたちが次々と病に倒れて死んでいく中家康は一人 健康で長生きしてついには天下人の座をつかみます。健康長寿こそが家康が天下を取れた大きな理由の一つ!そのために鷹狩りは欠かせないものでした。家康のこんな言葉が残っています。健康長寿は 楽しみながらもコツコツと積み重ねてきた…そして 鷹狩りのあとにはこんなお楽しみが。うえ~い。家康は 鷹狩りのあと捕獲したキジや鶴などを食べていました。肉は…これも家康の長寿に役立ったと考えられます。おいしそう。 頂きますか。はい。お~。あっ みそですね。ですね。 八丁みそかな?八丁みそですかね。甘い。うん!うまいよ。えっ じゃあ僕も食べよう。あっ おいしい。 本当だ。何か 東京人の僕からすると…あっ なるほど。おいしい。 結構しっかりめのみそですね。本当ですね。そうなんですね。史料に基づいて家康が鷹狩りのあとに食べていたと思われるメニューを再現しました。キジ鍋は キジの骨でとった出汁に八丁みそを合わせました。八丁みそは家康のふるさと 岡崎の名産品。大豆と塩と水だけを長期熟成させたみそで栄養価が高い発酵食品として知られています。こちらは 塩麹に漬けて焼いたキジ肉。塩麹は新陳代謝を高め免疫力をアップするといわれています。うん… いや おいしい。そして 家康が毎日食べていたという麦飯。ビタミンと食物繊維が豊富です。いや~ 麦飯もおいしいですね。うん。家康は 日々の食事にも気を遣い自分で工夫していました。食事とか?ええ。へえ~。家康は そういう意味で言うと…にもかかわらず…そっか。ふ~ん。 面白いね。確かに…終わりですからね。そういうことですね。せっかく鷹狩りをやったところですからここで…さあ 再び「どうするポイント」です。さあ どうする?さあ この3つのうち どれ?いや~ この3つ難しいな。どれも ありえる気がするんですよ。いや でも何か 家康さんの感じだとやっぱり自分に合わせるよりもやっぱ獲物に合わせるんじゃないですか?ということは?1。見事に大外れでございます。全然当たんねえな。ていうのはね答えは 実は2と3なんです。2と3。で 2寄りの3なんです。「2寄りの3」と言いますと?だから 最初はですね占いで決めてたってのもあったらしいんですよ。そのうちに 同じ時間に出発するっていう形になったらしいんです。家康の正解は 2と3でした。最初は 占いで時間を決めていましたが後になるといつも同じ時間に出発していたそうです。それは 夏でも冬でも 午前10時ごろ。一体なぜなんでしょうか。だから まあ その意味で言うと…本当ですね。ねえ。本当ですね。 家康グループ。なるほど。常務と専務で。そっか。でも 何か 確かに そうやって自分の…そうでしょうね きっとね。京都 知恩院。番組の最初にご紹介した等身大の家康像があったところ。実は家康にとってとても大切な場所でした。ちなみに こっちは何ですか?へえ~。家康像の隣にまつられた母 於大の方の木像。家康は 母にひときわ特別な思いを持っていました。愛知県岡崎で生まれた家康は幼い頃 母と離れ離れになりました。成人したあとに 母を呼び戻し生涯 大切にしたと伝わります。そうですね。そういった思いが こういうところに表れたんだろうというように思いますね。この知恩院は家康が母を弔うために大きくし手厚く保護した お寺。天下人になるため苦労を重ねてきた自分をずっと見守ってくれた 母への感謝の気持ちが込められた場所でした。母を慕った家康と 息子を支えた母。今も二人は ここに並んで座っています。そうかもしれないですね 本当に。家康の天下取りの秘密を探る旅。今度は名古屋市の徳川美術館にやって来ました。非常に徳川家のお宝が眠るところです。へえ~。お宝が。はい。家康の息子に始まる尾張徳川家に伝わったお宝が所蔵されています。中には 家康本人が愛用した品々も。
(並木)こちらが…
(並木)そうですね はい。あっ 本当だ!三つ葉葵がございます。三つ葉葵ですね。すごいな そこまでこだわってたんだ。だって 言ったら馬のここですもんね。
(並木)そうです。この美術館に家康天下取りの秘密の3つ目が大切に保管されているといいます。特別に見せて頂きましょう。何だ?えっ? 何?めちゃめちゃ厳重ですね。本当ですね。お~。木。
(並木)こちらでございます。香木。
(並木)はい。香木とは…昔から貴重なものとされてきました。「羅国」と申しまして東南アジアでとれました香木ですね。まあ 日本では とれないものですから…400年以上前 家康が手にした香木。実物です。これ 香っていいんですか?もし よろしければ…。香るのか? そもそも。何か パウンドケーキみたいでおいしそうなんだよね。家康の香木は 果たしてどんな香りがするんでしょうか。全然分かんない。いかがでございますか?何か…。でも ちょっと ほのかに…何て言ったらいいんだろうな?う~んと 今あるものでいうと何か ちょっと…ちょっと 何か… 何つうのかな?何か そういう感じですかね?やっぱりね。香木に強い興味を示し集めていたという 家康。東南アジアから大量の香木を取り寄せていました。ちょっと失礼しますね じゃあ。その量は 重さにして330kgにも及んだといいます。昔から 日本人は香りを楽しむ文化を持っていました。現在でも さまざまな形でその伝統は続いています。家康は 礼儀作法にのっとって香りを楽しむ香道を熱心に行っていたといいます。でも 香木が家康の天下取りの秘密とはどういうことなんでしょう?松本さんが体験してみます。教えてくれるのは…志野流は 室町時代に始まる由緒正しい香道の流派です。では 今から…1つ2つ お二方にお聞き頂きたいと思います。
(蜂谷)ゆっくりと香りを楽しんで下さい。用意してもらったのは家康も好きだった「伽羅」という香木。香木を数mm程度に削り火種の入った炉の灰の上にのせます。木が熱せられて立ちこめる香りを味わいます。香道の世界では 香りを「嗅ぐ」のではなく「聞く」といいます。香木の一つ一つには 魂が宿っていて香りを通じて自然や地球の声を聞くと考えるのです。聞き方は この中に火種が入ってますので気を付けて頂いて時計と反対回しに 90度 90度2回まわして頂きます。香りを閉じ込めて。そしたら ここに鼻を近づけていってゆっくりと…。吸い込んで頂いて。吐く時は皆様の右側に吐いて頂きましょうか。ここ 床の間なので。右に ゆっくり吐いて また「聞く」ですね。これを3回。 その時に…香道は 禅の精神にも通じる奥の深い芸道として室町時代から 主に身分の高い武士の間で行われました。
(蜂谷)はい 結構です。 そしたら右手で香りを閉じ込めて頂いてゆっくり 3回楽しんで下さい。家康が好きだったという 伽羅の香り。一体どんな声が聞こえてくるんでしょうか。[外9390]~
(蜂谷)そしたら時計回しに2回まわして頂いて。はい 結構です。そしたら 外に置いといて下さい。いかがでしたか?
(蜂谷)そうですね。あったかさ…ここの実際のあったかさも相まって何か すご~い…どちらかというと…何か あの~…そうですね。 だから極端な話 街歩いてて カレーの香りとかラーメンの香りを香るっていうのとは全く多分違くて意味が…。おっしゃったように…ってことは ある意味 尋ねるというか…。最後 何かっていうと…早すぎる感じはしないですね。実はね…あ~ やっぱり そうか…。それって…なるほど。その上で 何かこう…まあ 自分の人生と向き合う…そういうことなのかな。家康が 香にいかに熱心だったか分かるものが残っていました。家康の直筆で書かれているのはずらり 香料の名前。これは いわば香のレシピです。家康は 自分で香料をブレンドしオリジナルの香を作っていました。そのレシピは いくつも残っています。一体どんな香りなんでしょうか。では早速その香りを再現してみたいと思います。家康が残した「千年菊方」という香のレシピを 松本さんが再現します。ここに入ってるのは何ですか?香りのベースとなるのは熱帯アジア原産の香木を粉末にしたものです。もう いっちゃっていいですか?バ~ッと。
(小川)あけて頂いて。それで結構です。ここに さまざまな香料を加えて練り込んでいきます。はい それで結構ですよ。十分 混ざってます。今度は 丁字という…。はい 昔 江戸時代はですねこれ あの~しびれ薬にもなりましたですね。あっ ちょっと匂いする。これが?
(小川)はい。じゃあ これも入れちゃいます。
(小川)そうですね。なぜですか?これは もう…こちら 黄色いのがですねウコンといいます。あのウコンですか?
(小川)はい。今…
(小川)そのウコンでございます。まさに それと同じ。ウコンも家康特有のレシピ。何か スパイスカレーを作ってるみたい。これ そうですね さじで…最後に炭を入れて練り合わせます。[外9390]~練り合わせるには力も必要です。なかなかの重労働。
(小川)はい。はい。
(小川)どうもありがとうございます。ありがとうございます。
(拍手)手で くるくるっと丸めて頂くと…。丸薬のように丸めれば徳川家康オリジナルの香「千年菊方」の出来上がり。香炉で温めて部屋に香りを充満させて使います。
(小川)もう これで香りが立ちこめます。さあ どんな香りなんでしょう。あっ きてるよ。ちょっと待って 蓋…。きますよね?きます。何かね…う~ん…。 割と 何か…何だろう? 僕的には僕の感覚的には 割と 何かこう…
(小川)そうですね。うん。これが家康オリジナルの香り。あっ すごい! きた!
(小川)すごいきました?へえ~。家康が本格的に香を趣味としたのは…関ヶ原の戦いの前。天下取りに向けて さまざまな駆け引きを繰り広げていた時期でした。そんな中家康は日々 香をたしなむことで自分と向き合い冷静な判断を下していたのです。香は 天下を目指す家康のメンタルコントロールの役割を担っていたのかもしれませんね。ここで最後の「どうするポイント」。「蘭奢待」とは天下第一の名香とされる貴重な香木。古くから国の宝物として秘蔵され見ることもできませんが足利将軍や織田信長など何人かの権力者は切り取って 香りを味わいました。家康も天下人の座に就いて蘭奢待に興味を示しました。さあ どうする?難しい。いや 2番ありそうとか思ったけどそんなに高価なものをねみんなでシェアするほど何か 人が大きくなさそうな気がする。こんなこと言うのも なんですけど。こんなこと言うのも なんですけどあんだけ 仲間を大事にって言っている家康公だけど…。だって こんなに好きなんですよ。1かな。1。1で 切り取って宝物にして結局嗅がなかった。あ~ 1の 何か新しいバージョンですね。はい。う~ん そういう変化球で来るとは全然思わなかったんですけど答えは 3番でございました。なるほど。奥ゆかしいですね。奥ゆかしい。家康の正解は 3番。蘭奢待をしまうための箱を新しく作って贈りました。家康が いかに香りに敬意を感じていたかを物語るエピソードです。もともとの大本が入ってた…そうです そうです。そうなんです。そうですよね。最後に訪れたのは…天下分け目の戦いといわれた関ヶ原の戦いの舞台です。家康は この戦に勝って天下人の座を手にしました。古戦場の中心に建つ 博物館を訪れました。最上階に上がると…。おっ すごい!関ヶ原の古戦場でございますね。へえ~。ここからは ぐるっと360度関ヶ原の古戦場を見渡すことができます。いや~ 何か…あの辺に…関ヶ原の戦いが始まった時に家康が陣を置いていたとされる場所です。家康は向こうからこう来てそれで こっちへずっと…。これ まっすぐ行って……っていうふうに考える。こっち側に陣が…。行かせまいとするっていう形で陣が配置されて。三成がいたのは もっと こっちなのか。わっ すごい!あれ 石田三成の陣地ですか?あれが石田三成ですね。へえ~ ちょっと高台のあそこにいたんですか。そう。 やっぱり どうしても軍勢が どう動いてるかを見たいので。天下人 豊臣秀吉が この世を去ると全国の大名は2つに分裂します。徳川家康率いる東軍は関東から大坂を目指して進軍。石田三成を中心とする西軍がそれを阻もうと 関ヶ原に陣取り両軍が衝突したのです。全国から大名が集まり15万人ともいわれる軍勢が戦った文字どおりの大決戦でした。そうなんですか。こんなにいっぱいいた…。いるのに。へえ~。実はですね 本気になって家康の行く手を阻もうとしたのはこの石田三成たちだけなんですね。えっ?家康は 戦いが始まる前に鍵を握る敵の大名たちをひそかに味方に取り込んでいたのです。あの手この手を使って必死に敵を切り崩し勝利をつかんだ家康。この戦にかける 家康のなみなみならぬ決意がうかがえます。そうですね。関ヶ原の戦いで家康が最後に陣地を置いたとされる場所にやって来ました。どうも この辺りに家康が座ってたらしいんですよ。…とされてるんですね。はい。戦いのあと 家康はここに座って味方が討ち取ってきた西軍の武将の首を検分したといわれます。いかがですか? 松本さん。こういう 家康が決戦を勝ち抜いた場所に立ってみて どんなご感想ですか?そうですか。うん。まさに あそこ 旗に書いてありますけど。家康が戦場で掲げた旗印「厭離穢土 欣求浄土」。「厭離穢土」とは乱れきった世の中を離れること。そして 「欣求浄土」は誰もが安心して暮らせる世を目指そうという意味。戦乱のない平和な世を実現するのが家康生涯の目標でした。しかし そのために多くの戦を行いたくさんの血が流れました。苦難の道を歩んだ末にやっと たどりついたのが関ヶ原での勝利だったのです。やっぱり それを得るためにすごい時間がかかっているしその間に…そうでしょうね。それと同時にう~ん 同じぐらいなのか それ以上…そうすると 決して ただわ~いって感じじゃなさそうですね。何か その「わ~い」って言えないっていうのはそういうことなんじゃないかなって思いますね。何か そんなことを改めて 古戦場といわれるこういう場所に来ると思いますね。[外9390]~家康公が作った?そうですね。だから もう家康が主導して作らせた。松本 潤さんが 2回にわたって体当たりで家康の素顔に迫ってきた「徳川家康の大冒険」。いかがでしたか?城なんか 全然見えないぞ。人質だった10代の頃 戦に負けてふるさと 岡崎へ逃げ帰った家康。へえ~。 何か壮観ですね こうやって…。絶望の中で見いだしたのが戦のない世をつくるという生涯の目標でした。自分だけじゃなくて 世の中を変えたい。その後 同じ目標に向かって進む家臣との結束を固めていった家康。火蓋切れ~!いやいやいや。死んでる 死んでる 死んでる。死んでますよ。何 何 何?待て 待て 待て~!お~ お~ お~…。 戦いませんよ 私。はい はい。 私は何も持ってません。戦いの場は戦だけではありません。家康は天下を取るための努力を日々 怠ることはありませんでした。いいですか? 外しますよ。よいしょ。 OK。こえ~。その一つ一つの積み重ねが家康を天下人に押し上げていったんですね。はい。かなりいい香りです。いいと思いますよ。…っていうことを すごく感じましたね。前回の旅 そして今回の旅を通じてあの言葉がすごくやっぱり印象に残っているので…。その思いは。より強くなっていったのかななんてことを感じましたね。松本さんが演じる徳川家康一体どんな感じになるんでしょうね?[外9390]~生字幕放送です。一部、字幕で表現しきれない場合があります。武田≫時刻は午後9時を回りました。こんばんは。武田鉄矢です。日高≫こんばんは。日高のり子です。武田≫こよいはということで中秋の名月であります。今、映っておりますのは東京・渋谷のNHKから見上げた満月でございます。満月というと、誰にでも忘れられない思い出がいくつかあるのではなかろうかと思いますが、いかがですか?日高≫私もあります!でも、それはあとのお楽しみにとっておきましょう。武田≫ところで日高さん
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